伊藤公象展
昨日の続きです。

メアリー・ブレア展のあと少し休憩したかったのですが、美術館内のカフェは混んでいて並んでいる状態だったので、諦めて伊藤公象展を見ることに。自分の中で分類できる感情、「カッコ良いな-」とか「綺麗だな」「欲しいな」「この色が良いな」「これはこういうことを表しているんだろうな」などなど、そういったものに当てはまらないものとして何か現代美術が見たいなと思いました。そういったもの=現代美術とすることの是非は置いておいて、まともな知識がなくカジュアルに現代美術を楽しんでいる僕にとってはそういうものかもしれないです。
伊藤公象展はそういう意味では理想の企画展でした。とにかくわけがわからない 笑(良い意味で)。美術作品なんてのは、作者がどういった意図で制作したのかわかっている場合でも、そこに則して見る必要はないと思うし、見たまま感じたまま楽しめたらそれが一番良いと思うのですが、今回は入り口でもらった作品説明のパンフレットを見ながら進むことに。それくらい作品を見ただけでは頭の中でどこに分類して良いのかわからない作品群(もちろん良い意味です)。一見土(焼き物)に見えない作品や、一面に並べられた様子が圧倒的でボーッと見ていました。
一応写真撮影をしていいか聞いてみると、屋外のものに関しては許可をもらえたので何枚か写真も撮ってきました。
メアリー・ブレア展と同じ美術館で催されているとは思えないほどまばらな人、壁を通してほんの数十メートル先には人だかりができているのに、その対比そのものがもうたまらないです。僕は京都のお寺が好きでよく行っていたのですが、垣根で区切られた庭が喧噪から隔離され、すぐ向こうの道路では車が走っているのだな-といつも不思議な感覚になっていたのですが、今回のこの様子もまさにそういった感じで、メアリー・ブレア展と伊藤伊藤公象展を同時に見ることがとても面白いことだと感じました。もっと方々にベンチ等があればそれらの作品を眺めながら音楽でも聴いていたいところでした。
点数を並べること、その並べた形、その行為そのものが作品のようでもあり、実際同じ作品でも展示会場によって形を変えることからもわかります。氏の長年のテーマであるらしい「有機性」をどう感じることが出来るか、というのはとても刺激的なことだと思いました。その連続性とか、フォルムで直接表すでもない作品には、特に壁に作られたものなど草間彌生に近い感覚を持ちました。でも、なんていうか”有機性”ではあるはずなのに、僕はもっと無機質なものに感じられ、そこが草間彌生と近いかなと思いつつも、まったく違うものだとも感じました。みんなは有機性を感じるのでしょうか・・・そしてそこの違和感こそまさに僕が今回見たかったものでもありました。
伊藤公象展は、きっともっと知識のある人や、土を扱っている人にとっては技術的に興味を持つ部分なども有るかと思います。そういったことがパンフレットから読み取れるわけですが、僕のようにそうでない人間が自分の基準で楽しめることが出来るというのが美術鑑賞の良いところだと思います。特に現代美術はそういう要素が強いと思います。メアリー・ブレア展・伊藤公象展と見て一日にインプットできるキャパをすでにオーバーしているような気もしますが、まだ夏の遊び場展があります・・・次回に続きます。
※前回のポスト、メアリー・ブレア展に写真を追加しました。
次回予告:夏の遊び場展 エルネスト・ネト!!!

